茶馬古道は中国南西の地区に位置して、荷馬隊を主要な交通手段とする民間国際貿易通路で、中国西南の民族経済文化交流の廊下である。茶馬古道は古代の南西辺境の茶馬互市に源を発して、唐・宋の時代に興し、明・清の時代にに盛んになり、第二次世界大戦の中後期に最も盛んになっていた。
茶馬古道は南は雲南シーサンパンナの易武、プーアル市から、今日の大理白族自治州、麗江市、シャングリラを経てチベットに入り、ラサに直行している。また、チベットからインド、ネパールに行く人もあるので、古代中国の重要なビジネスルートである。
雲南へ観光に来るなら、茶馬古道の見物ルートは2本ある。
一、テン南官馬古道
お薦めのルート:シーサンパンナ——プーアル——紅河——昆明——曲況——昭通——昆明
モウ臘県——易武鎮
茶馬古道の起点はプーアル茶の発祥地で、つまり、現在のシーサンパンナモウ臘県易武鎮である。易武古鎮と古道は今にもきちんと残っていて、古鎮には千年以上のプーアル茶樹も生きている。
思茅-――茶馬古道観光地
プーアル市北西の臘梅坂に位置して、プーアル市まで約5 km。ここは茶馬古道の南北方向の重要な区間で、今まで最も完全に保存されていて、距離が最も長くて、茶馬古道文化が最も厚くて、沿道の生態が最も良い区間である。史上では、プーアルが雲南南部の茶葉集散貿易センターである。
墨江——碧渓古鎮
墨江の碧渓古鎮は「 物華天宝、人傑地霊(豊富な物産は天の賜物であり、優秀な人材は土地の霊気 による)と言える。碧渓古鎮は史上で茶馬古道の重要な宿場で、古道の商人、荷馬隊の唯一の通路と休憩場所である。
寧洱——磨黒古鎮
「青山環古鎮、小河繞鎮流。条石巷道幽、梯房現古鎮。(青山が古鎮を囲み、小河が古鎮を回って流れている。条石路地が静かで、梯屋が古鎮を見せている)」。ここは磨黒で、1つの有名な雲南南部の塩都、1つの重要な茶馬古鎮、1つの光栄な革命根拠地、1つの有名な麗人の故郷である。
寧洱——那柯里茶馬宿場
那柯里は、古代プーアル府茶馬古道の重要な宿場で、寧洱県南部に位置し、寧洱県都まで16キロ、プーアル市まで25キロ、交通が特に便利である。
ここには、比較的に完全に保存されている茶馬古道遺跡、百年栄髪老舗があり、その時代の荷馬隊用の馬灯、馬飲水石槽などの歴史遺跡、遺物もある。
鎮沅——千家寨
茶馬古道は、南方のシルクロードと呼ばれ、プーアル茶の長い歴史を証明している。プーアル鎮沅九甲千家寨の2700年以上の世界野生茶樹王は、茶樹の起源と進化歴史をキャリアで、茶業界の生化石と褒められている。
千家寨区間の茶馬古道は、雲南三大古道の一つである迤南大道の一区間である。この長々とした茶馬古道は、茫々たる哀牢山の原始密林に隠れていて、1500年以上の歴史を越え、いくらもの移り変わりを経験してきた。その青石板の上の馬蹄刻印は、昔のテン南大通路の繁華、それらの荷馬隊についての物語を記録している。
紅河——迤萨荷馬隊古城
迤萨は紅河南岸の山腹に位置し、もともとは先住民族――プラ人(イ族の分枝)の生息地であった。プラ人はそこで農業と狩猟によって生計を立てていた。
前世紀の三十年代から四十年代にかけて、迤萨荷馬隊の成長は全盛期に入り、東南アジアで大きな影響があった。
東門荷馬隊古城は、県都の東門街に位置し、主に東門城楼、姚初居中外合璧民居、および銭二官迷宫大院という三つの部分によって構成されていて、どちらも中華民国の初期に建築されたのである。
曲靖——勝境関
勝境関は、貴州省から雲南省に入る初停留所で、「入滇第一関」と褒められ、曲靖富源県に位置している。勝境関古驛道は通京大道と俗称され、文字通りの「滇東茶馬古道」である。
史上では、官・商・旅人が中原から雲南に、または雲南から首都に行くことに対して、この道は唯一の道である。
昭通——豆沙古鎮
雲南塩津豆沙古鎮は茶馬古道の1つの小鎮で、昔の交通が発達していないで、輸送が人力、騾馬によって行われた時代に、四川から雲南に入って中原と接続する重鎮で、「滇川玄関口」と呼ばれてきた。
豆沙関には有名な「五尺道」遺跡がある。五尺道は秦の時代に建て始められ、四川から雲南へ、またミャンマーやインドへの重要な通路である。昔、四川、雲南省の荷馬隊は布、塩、薬材、茶葉、銀銅などを載せて古道を絶えず往復していた。
二、雲南・チベット茶馬古道
お薦めのルート:シーサンパンナ —— プーアル —— 昆明 ― 南華 ― 鳯慶 ― 祥雲 ― 束河 —— 剣川 —— 雲竜 —— 丙中洛 —— 徳欽 -- シャングリラ —— 昆明
南華ーー兎街鎮
ここには豊富な森林資源があり、茶馬古道の遺跡が残っている。
かつて車馬で賑やかだった古道は寂しく、古めかしく、静かである。両側の家屋はやはり昔のままで、アスファルト道路や鉄筋コンクリート建物の繁華と全く違っている。
鳯慶ーー魯史古鎮
これは雲南西部の茶馬古道の第一鎮で、昔、雲南南部から蒙化(今の巍山県)、下関、昆明へ行き、北へは麗江、チベット、インドへ行き、インドに直行し、南へは順寧(今の鳯慶)、鎮康に入り、更に西へはミャンマーへ行く重要な宿場で、今まで700年ぐらいの歴史がある。
祥雲――雲南驛鎮
大理の雲南驛古鎮は茶馬古道最大の宿場で、「彩雲の南」の故郷で、最も雲南らしい場所でもある。雲南驛は雲南を地名として、2000年以上の歴史がある。
雲南驛は現在唯一の荷馬隊輸送、道路運輸、鉄道輸送、航空輸送などの異なる時代の輸送方式を含む場所で、人類交通進化史の生化石である。1キロも長い青石板で敷かれた古宿場は、まだ完全に保存されている。
麗江――束河古鎮
束河古鎮は茶馬古道でかなり完全に残されている鎮の1つである。
古鎮を歩いていると、素朴なナシ族遺風、古い沿道店舗、ぼろぼろとした青石板路面、のんびりした喫煙老人、さらさらとした小橋流水、青々とした門前菜地……が見えてくる。その年の茶馬古道に身を置いたようで、昔を思いながらしている。
剣川――沙渓古鎮
砂渓古鎮は大理景勝地と麗江古城の間に位置している。それは茶馬古道の生き残っている古市である。石畳を歩くとか、古劇台に登るとか、周りの店舗や馬宿場を見物するとか、黒恵江を歩き通るとか、白族の洞経古楽を聞くとかしながら、古い民族の伝統的な魅力を感じようではないか。
ここは雲南のすべての市で最も歴史文化的趣きのある所であろう。
雲竜――諾鄧村
中国の歴史上で、かつて非常に貴重な塩はこの辺鄙な村の運命をつけていた。それは茶馬古道でかつて最も盛んな取引場所で、その繁華が1000年も続いていた。
諾鄧塩井は、漢朝の採掘から今まですでに2000年以上の歴史があり、雲南西部茶馬古道のビジネスセンターの一つである。
怒江丙中洛——霧里村
雲南省怒江州貢江県丙中洛郷の霧里村は、怒江大峡谷の石門関と秋那桶の間にあり、丙中洛郷の北に位置し、後ろに碧羅雪山を控え、川を隔ててガオリゴン山を向かい合い、怒江の水が村の前を流れていく。
観光客はここに来てその静かさ、原始、険しさおよび古朴さで感嘆させられて、それを「桃源郷」、「人間仙境」と誉めている。
霧里村の近くでは、怒江岸辺の絶壁にしっかりと寄っている本物の茶馬古道を見ることができる。これは村唯一の出入通路でもある。
徳欽-----奔子欄
徳欽は荷馬隊が雲南ーチベット道路に出入りする雲南省内の最後の停留所であるが、奔子欄はかつての茶馬古道の重鎮でもあった。
昔から、どのくらいの各地の荷馬隊がこの荷馬隊輸送の「大埠頭」を通りかかったか分からない。ここも最も有能な「馬脚子」(チベット語「臘都」は、つまり馬駆者)によって茶馬古道でよく知られている。
シャングリラ——独克宗古城
雲南唯一のチベット族自治州とする迪慶は、従来してチベット入りの要道であるが、シャングリラは更に茶馬古道の重要な関門である。迪慶にある独克宗古城はシャングリラ県城に実在している古鎮でもある。
独克宗の古めかしさというのは、この昔の茶馬古道の重鎮に1300年もかかって彫刻された歴史痕跡が収蔵されているからである。
雲南人にとっては、茶馬古道は古道文化財遺跡だけでなく、さらに雲南人民が他の人民と長期的に交流して共存している有力な証拠で、深刻な文化と歴史を含んでいる。雲南へ来て再び茶馬古道を歩き、古道の荷馬隊宿場を見物し、歴史を遡る旅中で荷馬隊時代の繁華さや賑やかさを実感しようではないか。
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