始業シーズンの到来につれて、寧ジハニ族イ族自治県同心鎮那柯里村はさらに活気が満ちるように見える。この嘗ての茶馬古道の重要な驛駅は、週末になるたびに、群れになった学生は観光に来て、その内にラオス、タイなどの東南アジア国家からの留学生もある。
茶馬古道の源として、プーアルと東南アジアなどの地区はこの千年古道に緊密に繋がれている。今、プーアルへ留学に来た周辺国家の学生は絶えず多くなり、ただプーアル学院の在校するラオス留学生が200人以上に達している。また、当学校のますます多くの卒業生は周辺国家へ就職することを選んでいる。「古いシルクロードと茶馬古道で、異なる民族、異なる文化は有無相通し、相互学習している。」 20日に行なわれた外交部雲南世界PR活動において、「茶馬古道」はホットワードになり、出席するお客様、駐中国使節に頻繁に言及されている。
従来して、茶馬古道は雲南人の心の深い郷愁である。馬蹄印の残っている石畳、百年もの風雨橋、数世代も伝えられてきた鞍… … 2007年以降、那柯里村は茶馬古道の保護と開発・修復の展開によって、茶馬古驛駅の歴史的姿が回復して、観光インフラ関連施設の外に、また、驛駅内の水体景観、馬跳石、洗馬台、古道陳列館などの建設も完成された。
正午に近づくと、すでに200年以上の歴史がある那柯里「栄発馬店」ホステスの施宋英氏は笑顔でお客様を迎え始める。彼女の祖先らはみんな馬駆人で、馬駆け貨物輸送によって暮らしていた。店内には荷馬宿開設時の石水がめ、油灯、馬垜子、押切、皮かばん、竹編み鞄などの物品が並べてある。彼女は自宅で荷馬隊料理を特色とする農家楽を開いて、観光客に人気がある。
那柯里村は「茶馬古道」という美名によって、ますます多くの観光客によく知られている。現在、那柯裏の40%の村びとは観光事業に従事して、現地は「那柯裏茶馬古道驛駅協会」を創立した。2013年5月に、国務院は正式に茶馬古道の寧ジ区間が第7陣全国重点文化財保護単位に組み入れられたことを公表した。同年に、那柯里村は中国伝統村落名簿に入選した。2015年に、那柯裏村は全国生態文化村に選べられた。
雲南と周辺国家との区域開放協力の絶えぬ深化につれて、「茶馬古道」の見せてくれた開拓精神と分かち合い文化はより多くの人々に認可されていて、茶馬古道の歴史文化の開発と伝承、雲南イメージ展示は、さらに高いレベルへ邁進している。
目下、プーアル市の「茶馬古道」テーマシリーズ観光プロジェクトはちょうど起動しそうになった。2014年に以降、プーアル市と雲南メコン川グループと契約を締結して、プーアル市郊外の臘梅坂と土地壇の間の元茶馬古道ゼロキロのところを頼りにして、茶馬古道遺跡に対して保護的開発を行い、国家5Aランク観光地基準によってプーアル茶馬古道観光地を作り上げようとしている。 当グループは中国東方歌舞団と連携してプーアル大劇場で『茶馬古道』大型演芸プロジェクトをも作り上げ、また、茶馬古城観光村落、茶馬夜市などの関連ビジネスツアープロジェクトを建設し、全面的に茶馬古道文化を開発・展示しようとしている。
「茶馬古道という文化ブランドは独特な歴史的価値と資源希少性があるので、古道文化と荷馬隊物語に対する演繹によって、必ず観光客の心をしっかりと引き付けることができるよ。」と、雲南メコン川グループ総経理の鮑建斌氏は自信満々と述べた。彼が茶馬古道文化資源の開発潜在力と発展空間に対して自信がかなりあるので、雲南メコン川グループは当プロジェクトに対して高起点から計画して、大量の資金を投入して建設している。鮑建斌氏は茶馬古道観光地の建設によって、より多くの人に、早く千年前から、雲南人が「走出去」という願望と実際的事例があって、さらに多くの若者に思索するように啓発し、どのように雲南という美しい地方および良い製品を全国にPRし、全世界まで分かち合うことができるか分からせようと思っていた。
(引用:雲南ネット)