ジェームス•ヒルトンの小説「消えた地平線」に記述されたように、迪慶は多種類の宗教が共存し、様々な信仰が平和に共存している所で、所々にはチベット仏教寺院、キリスト教聖堂、道観および儒教祠堂があります。
迪慶のチベット人はほとんどチベット仏教を信奉して、チベット仏教を信奉する他の少数民族もあり、チベット仏教はチベット人の心できわめて重要な地位を占めています。チベット地区に歩いた時に、所々で金色に輝いている寺、大勢の僧、マニヒープ及び白塔、山頂上の経幡を見ることができます。チベット人の家庭配置、装い、毎日の労作、毎年の祝祭日、冠婚葬祭、子育てなどから、チベット仏教のチベット人に対する深い影響を見ることができるでしょう。迪慶には多くのチベット仏教寺があり、最も有名なのは「小さいポタラ宮」と称されている噶丹松讃林寺、徳欽の噶丹東竹林寺があり、少し小さい寺は全土に分布しています。
迪慶境界内のナシ族は、シャングリラ三壩などの金沙江沿線および維西、徳欽県瀾滄江沿線に居住しています。史上で、境界内のナシ族は殆ど東巴教を信奉しています。当教のシャーマンが「東巴」と呼ばれたので、当教は「東巴教」と 名付けられているのです。 シャングリラ県三壩郷白地は東巴教の聖地で、東巴経師は下記のような規則を守っています。 「白地に行ったことのない東巴は本当の東巴ではない」。 そのため、今までの250年内に、周辺各地の東巴教徒は絶えずにここへ巡礼、聖文研究、芸術練習に来ています。東巴一の聖祖丁巴什羅は白地に着いた後、東巴経文(つまり、東巴象形文字)および東巴教を創立しました。また、初めの東巴教聖祖と称された啊明什羅は生粋の白地人で、今なお、その後代はの白地に居住しています。
キリスト教、カトリック教はずっと昔から迪慶で伝えられました。迪慶の後背地の瀾滄江あたりに、一カ所のフランス式カトリック教聖堂が建てられていて、聖堂の周りは林木が青々と茂っていて、果樹が空高くて、実を結ぶ季節に果実が木いっぱいです。 聖堂には本場のフランスブドウも植えてあります。これは、遠近有名なカトリックのフランスパリ外国教会雲南づお鐸区主聖堂――茨中聖堂です。茨中聖堂の他に、小維西聖堂(傘下の分肢聖堂が2ヶ所)、維西聖堂(傘下の分肢聖堂が1ヶ所)もあります。