シーサンパンナに入った各観光客は鮮やかで華麗な熱帯植物に驚く同時に、シーサンパンナの上に掛けてある金色仏光にも震撼されていて、金色に輝いた聖地域に踏み入ったようです。
曼飛龍筍塔。
数百年前に、上座部仏教は雲南省シーサンパンナに伝われて、タイ族全体の信仰する宗教になってきました。 ここの仏寺建築は所々で見ることができ、ほとんどの村には仏寺があって、また、仏寺の側または付近には殆ど仏塔が立てられています。
これらの仏塔は基本的に煉瓦で積み上げられて、外面が石灰、塗料を塗られていて、ほとんどは中が詰まっているのです。 仏寺、仏塔はタイ族人の生活の中心場所になって、彼らの心の聖殿になっています。 仏塔のスタイルは主に ミヤンマ式鐘形仏塔、亭閣式仏陀塔、タイ金剛座仏塔、八角形密軒仏塔があり、千姿万態としています。
シーサンパンナに入った各観光客は鮮やかで華麗な熱帯植物に驚く同時に、シーサンパンナの上に掛けてある金色仏光にも震撼されていて、金色に輝いた聖地域に踏み入ったようです。
曼飛龍筍塔。
★ 仏祖の金足跡 曼飛龍筍塔
曼飛龍筍塔は景洪市勐龍鎮曼飛龍寨北側の丘に位置して、塔園の所在地の地勢が平坦で、基礎の繋がった子母塔が塔園の真ん中に立っていて、子塔が全部で8つあり、主塔と八角形を形成しています。 塔基の周りは16本の托蓮円柱に囲まれています。筍塔基盤は多形の弥座に属しています。 基盤の南側には深い穴があり、穴内に長さ約0.9メートル、幅約0.8メートルの金色足跡が残されています。民間では仏祖釈迦牟尼の足跡で、筍塔建築のマークとして仏祖が仏門弟子に残したのだと言われています。
須弥座の上に立っている主塔と子塔は全て多層瓢箪に積み重ねられた円錐形体で、八つの子塔の基盤の上には、それぞれ屋敷状アーチ仏壇が建てられています。仏壇は民族的な浮き彫り装飾を用いられ、人字形軒あたりの上にタイ族語で「咪睐」になった装飾物を多く飾られていえて、脊頂には装飾的な小塔が立ててあります。8つの仏壇内には、それぞれ一つの仏像を祀られています。 主塔の塔体はタイルを貼られ、中部には4つの仏壇を設けられ、4つの仏像が祀られています。筍塔の塔体は白色を原色として、黄色、白、赤、緑の入れ替えた槽台があり、鮮明な多層立体感を持っています。
史料の記載によると、曼飛龍筍塔が1203年に建てられたそうです。釈迦牟尼は当地へ説経宣教経する時に、この寨が曼桂といいましたが、仏祖は老婆心から繰り返して仏教経典を解説しているところ、曼桂人が何故か何回かの「尾龍」「尾龍」という叫び声を出して、更に急速に村に走り帰りました。 仏祖はずいぶん怒って、曼桂に「曼尾龍」(素早く逃げた寨という意味)と非難して、後は、人々は自ら「尾」文字を「飛」文字に変えて、寨の名を曼飛龍に変えたと言われています。数年後、ここのタイ族人がすべて仏門弟子になった時に、どこで仏塔を建てるかについて論争が起こったので、仏祖ここに一つの足跡、つまり、前記の塔基下の金色足跡を残していたそうです。
タイ族人はタイ族暦の新年を祝うたびに、塔園内へ「贖塔」(塔礼拝)イベントを行って、賑わって盛んになっています。したがって、君が民俗愛好者なら、タイ族暦の新年の時にここへ観光するようにお勧めします。
総仏寺。
★ 金色に輝いた総仏寺
総仏寺は景洪市街地の南東側にあり、曼聴公園の南東隅に位置して、シーサンパンナ仏寺のリーダーで、昔はシーサンパンナ宣慰使の仏像に礼拝する場所でしたが、現在ではシーサンパンナ仏門弟子の謁見中心になっています。
当寺は初めて西暦6世紀前に建てられましたが、既存の寺は1989年に再建されたものだと言われています。 総仏寺正殿は庭の中央に立っていて、殿基が高さ1メートルぐらいで、紫紅色に塗られて、壁が乳白色です。 煉瓦木構造の殿は高さ7メートルぐらいで、濃褐色の掛瓦に覆われた屋面が2階層に分かれて、上層が5面坂入母屋造で、屋軒と屋根がどちらも三級階段を形成しています。 下層は一面坂入母屋造で、両層間に高さ1メートルぐらい隔軒板が設けられて、屋面形状が普通と異なるように見えます。5面坂屋根の真ん中に3つの造形の違った小塔が立っていて、小塔両側の屋根の上に陶磁装飾品を飾られています。正殿門前の庭の中央に底部が十字形をしている祭壇が建てられていて、ひとつの金体立仏を祀られていて、鼎燭台を備え、信者仏教徒の最敬礼を供えているのです。
金色仏光。
総仏寺はシーサンパンナの寺の中で等級の最も高い仏寺で、州内各地の仏寺住職は時々参拝、経文検討に来て、 地方の巡礼者や観光客はよくひっきりなしに拝謁や見物に来ているので、この総仏寺は現地で最も旺盛な寺です。金色に輝いた寺とゆらゆらとした線香の煙は互いに映えて、美しいシーサンパンナに金色の仏光を掛けています。
★低調な金色曼閣仏寺
「曼閣」はタイ族の地名で、ハニ族人の居住した村という意味です。物語によると、ハニ族人が南へシーサンパンナに移転した時に、ここで河渡りして逗留して、当地を「打閣」と称して、ハニ族のフェリーという意味です。その後は、タイ族人は「打閣」の近くに村寨を造って、曼閣とおいう名称を踏襲してきたそうです。
元の曼閣仏寺は初めて1164年に建てられて、旧住所が「打閣」フェリーの北側にあり、1598年は現住所を再建されました。曼閣仏寺の庭に、仏寺正殿、経堂、鼓屋、玄関廊下庭の引いた廊があります。 仏寺正殿の壁は赤煉瓦で築かれて、三面坂構造の軒重ね屋面が建てられています。屋面の上部分は人字形をして、2軒の幅のまちまちな家屋が重なったような形状で、屋面屋根に中部が高くて両側が低い階段状を呈するようにしています。 屋根の真ん中に一つの精巧な陶塔が設けられて、その両側に蓮蕾形、火炎形の装飾物、および龍・鳳形の陶塑が多くあります。 全体の正殿は古風で静かな美感を与えてくれて、目を奪われた光沢がありませんが、時間に磨かれた金色は一つの古い物語を訴えているようで、ここに踏み入れた観光客の人々がを思わずに足を止め、ゆっくり歩き、声を出さないようになるのです。
曼閣仏寺。
仏殿母屋は両行列柱のビーム重ね構造で、列柱と壁の間にはサブビームが架けられ、サブビーム末端には伏せ象が柱を背負う式の飾り柱があり、屋の組み枠構造を奇抜で古めかしく見えるようにしています。 殿堂の西側に高さ2メートルぐらいの須弥座仏壇が設けられていて、大きな釈迦牟尼塑像が祀られています。 殿内には7匹の小さい象を柱基とする木製亭閣と読経閣がそれぞれ一つ建てられています。 仏像礼拝または重大な仏事イベントが行われる時に、仏寺住職は閣に登って儀式を主宰して、読経をします。